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横 須 賀 の 風 景
[自然と歴史遺産の残る無人島:猿島
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軍港碑

明治10年(1877)年9月1日に海軍が管理する港の範囲(この猿島から夏島の間)が指定された。当初木製の碑だったが、明治16年に石柱に建替えられた。

発電所(電気燈機関室)

 明治26年から28年(1895)に造られた発電施設を入れた建物。当時は石炭を焚いて蒸気で発電機を廻した。建物から飛び出したような小部屋が石炭庫、汽かん室、発電室と2部屋に分かれている。
島内のトンネルや探照灯などに使用された。

海岸に降りる急な階段、周辺は絶好のフィッシングポイントになっています。

台場跡、この付近には幕末に異国船の江戸湾侵入に備え、3門の大砲が据えられた砲台がありました。


東京湾の入口付近が遠望できます。
陸地は、左端が観音崎、右へ走水、横須賀市街地方面

展望台跡、周りに樹木が繁茂し、展望台とは名ばかりの施設ですが、老朽化で立ち入り禁止となっていました。

パンフレットに「初代ショッカー基地としても有名」と書いてありました。

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長い歳月を経てなお美しいレンガ積の建造物、軍用施設でありながら施された飾りに造られた時代の拘り(余裕)を感じます。

右は「愛のトンネル」の出口付近

日蓮洞窟(猿島洞穴)

弥生時代の貝塚や古墳時代の墳墓のあとが発見されている。人の住居や墓として使った跡が見つかっている。

後に日蓮伝説と結びつき、日蓮がこもって修行をしたところとして、日蓮洞窟とも言われている。

猿島を後に、三笠桟橋に帰ります。

最近は島内の風景が「スタジオジブリの世界のようだ」との評判も広がり、新たな人気を呼んでいるようです。


記述は、潟gライアングルのパンフレット、猿島公園専門ガイド協会ホーム―ページなどを参考にさせていただきました。



ご覧いただきありがとうございました。

日蓮洞窟

日蓮洞窟に降りる階段

昭和16年頃から造られたコンクリート製の砲台跡、高射砲が据えられており、先の戦争で本土の防空に貢献しました。

[H26.09.17]
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