[H20.11.17更新]
剣道を始めた頃

昭和29年4月、高等学校に入学しました。いわゆる進学校でしたが、比較的自由な校風の学校でした。
中学時代、体育が苦手だったこともあり、入学を機に何か運動部に入りたいと思っていました。

当時、日本は、終戦後の混乱期を乗り越え、国民の生活にも少しずつ落ち着きを取り戻しつつあったと思います。その頃、スポーツの分野で世界的に活躍していたのは卓球でした。
世界選手権で荻村伊智朗が優勝するなど圧倒的な強さを誇っていました。卓球は国民的なスポーツとして日の出の勢いでした。
何を思ったか卓球部に入ってしまいました。入って分かったことですが、入部した生徒のほとんどが中学時代からの経験者であり、素人はわずかだったと思います。
練習の大部分は、駆け足などの体力作りと、球拾いだったような気がします。最初からスポーツは面白いものと思っていましたので、しばらくしてやる気を失いました。

その頃、タイミングよく、剣道部ができると言う話を聞きました。終戦後の剣道の位置付けなど知る由もありませんでしたが、単純に新しくできる部だからみんな素人だろうと、簡単に入部を決めてしまいました。
ところが入ってからは結構大変でした。これも後で分かったことですが、学校剣道は終戦後、占領軍によって禁止されていました。昭和28年にようやく解禁となり、当時、続々と剣道部が復活していたのです。
昭和29年4月、剣道部はまず同好会として発足したようです。
部はできたが練習する場所がない、防具がない等、問題山積みでした。稽古は上級生の経験者が指導に当たっていました。当時の上級生は良くやったと今更ながら感謝しています。

当然、稽古着などはありませんので、学校の体操服装に、あちこちから駆り集めたのであろう中古の防具を着けていました。"あんこ"がへたってしまった面や籠手(小手)、丸まってしまう竹胴をつけて稽古をしていました。打たれたときの頭や手の痛さはかなりのものでした。胴を打たれると、すぐミミズ腫れです。今でも右拳の人差し指と中指の付け根の骨は丸くなっています。
稽古の場所の確保も大変で、体育館でできればよいほう、時には柔道場の畳を上げて、踏み込むと床が抜けるようなところで稽古したこともありました。それでも一生懸命稽古に励んでいました。

昭和30年4月、正式な部として認可され、道場も柔道場と並んで設けられました。しかし、大問題は指導教官がいないことでした。そこで、市の剣道連盟にお願いしたところ、当時、剣道連盟副会長を務められていた先生が快く引き受けて下さり、爾来、30数年に亘り剣道部のご指導をいただきました。個人的にも、ご自宅へ伺いご指導いただいたこともありました。

3年生の夏頃には引退するので、実質2年余りの剣道部生活でしたが、最大の収穫は、立派な先生に恵まれたことです。私の剣道の基礎は、ここでほぼ固まったといっても過言ではありません。現在、この歳になっても剣道を続けられるのは、当時、しっかりした基礎を築いていただいたお陰と感謝しています。
何も分からない高校生相手に辛抱強く、懇切丁寧に教えていただきました。
「真直ぐ、大きく、強く」が先生の教えでした。
                                            [終]
 

今年、平成20年(2008)は母校の創立100周年にあたります。また、剣道部OB会の創立50周年でもあることから、本年5月にOB会記念祝賀会が行なわれました。
この際に配布された資料により、終戦後、剣道部再発足当時の状況が分りましたので、上記の内容を一部修正いたしました。

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剣道一筋 一生楽しめる剣道の魅力とは (全日本剣道連盟会長 武安義光

「剣道の魅力は、人生何十年たっても、それなりの楽しみや充実感が得られることです。私も中学生で始めて剣道70年、時代や年代によって取り組み方や楽しみ方も変わってきました。例えば、学生のころは厳しい稽古で、試合に勝つことを目的にしていた時期もありました。しかし勝つ剣道は、ある時期になると卒業するわけです。
それからは、充実感を求める剣道になる。つまり、自分自身を鍛錬したり修練したりすることの充実感がわかるようになります。」
「相手と向かい合えば、人は迷ったり、恐れたりする。しかし自分自身を磨くことで、その弱さを克服することができるんです。剣道は、勝つことが最終目的ではありません。とても心の要素が大きいのです。」
「若いときに、基礎をしっかりやっておけば、剣道は一生楽しめます。剣道の楽しみは人生への取り組みと同じように、年齢とともに変えていくことができます。そんな弾力的なところが剣道のすばらしいところだと思います。」
  
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横須賀・立石