東欧4カ国の旅は、ドイツのベルリンから始まりました。
ドイツは、日本にとって因縁のある国ですが、現実は、遥かに遠い、ヨーロッパの中でも馴染みの少ない国の一つです。
ガイドの人が“今年は日本人がやたらと多いがどうしてでしょう。例年シーズンオフの11月が今年はハイシーズン並です。”と。
来年の“サッカーワールドカップ”や“日本におけるドイツ年”などで関心が高まっているのではないですかと答えておきました。
左の写真は、ベルリンのペルガモン博物館の入口です。
旅の初日、ベルリンの朝は快晴でした。早朝の街の風景です。
上の写真の高い塔は、ベルリンの中心部に建つ戦勝記念塔です。先端の像は黄金に輝く勝利の女神ヴィクトリアです。
現在も残されているベルリンの壁、左側にも壁がありました。
ベルリンのシンボルとも言える「ブランデンブルグ門」。
古代ギリシャ神殿風の列柱が並ぶ壮大な建物です。ベルリンの壁の一部を形成していましたが、右の写真の路上に壁のあったことを示す標識が埋め込まれています。
博物館島の一角にある大聖堂、大きなドームと多数の彫刻で飾られた荘厳な雰囲気の教会です。
観光客は殆んどが日本人です。
博物館島は世界遺産に登録されています。
左の写真はペルガモン博物館の至宝ゼウス祭壇です。この壮大な祭壇は、トルコ北西部、古代ギリシャの都市ペルガモン(ベルガマ)にありました。上の写真は、以前トルコを訪れた際に写したゼウス神殿の跡地です。ドイツの考古学者が発掘し、ドイツに持ち帰ったものです。
上の写真は、新バビロニア王国(現イラク)のイシュタール門、紀元前6世紀頃のものです。日本語のオーディオガイドもあります。
ベルリンから少し離れたポツダムを訪れました。世界遺産にも登録された優美な宮殿などがあります。左と上の写真は、18世紀、プロイセン王国フリードリッヒ大王が建設した新宮殿です。赤レンガの華麗な建物です。
以下は、第2次世界大戦の戦後処理を決めるポツダム会談が行われたツェツィリエンホーフ宮殿です。
会談中に使用された各国の執務室などが残されています。
この古色蒼然とした歴史の重みを感じさせる建物で、日本の運命を決める原爆投下やポツダム宣言が話し合われました。
それから60年、日本は多くの苦難を乗り越えてきたわけですが、その原点となるこの地に立つと、なんともいえない感慨をおぼえます。